イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月28日(火):祈りの母モニカ

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アウグスチヌスについては、今年の2月2日に「モニカの祈り」ですでに書いてあるが別の人も書いているので、もう一度、この偉大なる教父について書いてみたいと思う。

諺に、「揺籃(ゆりかご)を揺する手は世界を動かす」と言われ、また「偉人の背後に母あり」とも言われている。 アウグスチヌスを偉大な教父、教会の父たらしめたのは神ご自身であるが、その恩寵を日夜祈りをもって祈り続けた母を忘れることはできない。

(日夜その涙によって私のために捧げられ、かくて汝は不思議な仕方で私を導き給うた」と言っている通りである。 (告白5の7)。 また、彼は感謝を込めて、「母は私を、私が内においてはこの世の光りに、霊においては永遠の光りに生きる様に生み出したのである。」(告白9の7)とも書いている。年頃になって彼女は彼女はパトリキウスという未信者の公吏に嫁いだ。 彼女は主に仕える様に夫に仕え、夫が非情であった時にも、争うようなことをしないで、いつか夫が信仰に目覚めるよう良き行状をもって伝道した。 姑も初めは意地悪い下女たちの告げ口を信じて、彼女に反感を抱いていたが、彼女の辛抱強く、温和で恭順な態度で姑の心を得たので、ついに姑も進んで平和を守るようになった。

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息子のアウレリウスが、親元を離れて遠くカルタゴに遊学するようになると、たちまち都会の悪風に染まり、不信と不道徳な生活をするようになった。彼女はその事を知って悲嘆にくれたが、しかし、この悲しんでいる母に、二つの慰めが与えられた。

一つは、彼女の見た夢である。

それは、彼女がある木の定規の上に立って、息子の墜落のために泣いていると、一人の立派な若者が現れて、心配するな、汝のいる場所に息子もいるから良く見よと、言った。彼女がよく見ると、息子が自分の側に立っていたというのである。・・・・

もう一つは、彼女が町に主教に息子を諭してくれるように頼んだ時、その主教はしばらくそのままにして置いて、ひたすら彼のために祈るようにすすめ、「汝とが生きているかぎり、このような子は決して滅びることはない」と、言った。この言葉を彼女は天来の言葉として聞いて、大いなる慰めを得たのである。

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アウグスチヌスが母を伴ってローマへ逃亡した時、母モニカは悲嘆のあまり祈りと涙のために失神したほどであった。しかし、海山越えて慣れぬ旅を続け、あらゆる危険を冒してミラノまで後を慕って行った。そして、息子の回心を願って、アムブロシウスの説教を聞くようにすすめ、ついに彼女の祈りが聞かれ、息子は信仰に入った。彼女は喜んで、「神よ、汝はわが思いに勝って大いなることをなし給えり」と賛美した。

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彼女は息子と共に故郷へ帰るために、チベル川の湖畔で舟を待つ間、親子水入らずで未来のことなど心ゆくまで語りあったが、その時言った。「私がこの世に生きながらえることを願っていた一つの望みがあった。それは私が死ぬ前に、お前がクリスチャンになることであった。しかし、神は今この望みを十分に遂げて下さった。私はもうこの世を去ってもよい」

アウグスチヌスは、自分の為に長い間祈ってくれた母のために

溢れる涙をぬぐおうともせず、人目もはばからず、泣きくずれた。もちろん永遠のみ国で再会できることは少しも疑わなかったけれでも。

実に彼女の全生涯は、息子アウグスチヌスを神に捧げるための熱い祈りの連続であった。彼女の祈りが聞き届けられた時、彼女はもはや何も望む事はなかった。しかし、彼女はその事によって偉大なる聖者を全キリスト教界に贈ったのである。

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