イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月13日(火):愛すべき書物とその著者。(ルカの福音書)

ルカの福音書は、世界で最も愛すべき書と言われている。かつて、あるアメリカ人がデニィに、良いキリスト伝を推薦してくれるように頼んだことがあったが、デニィは即座にこう答えた。「ルカの書いたものをごらんになりましたか」。ルカは卓越した画家だった、という伝説がある。スペインのある寺院にはマリヤの画像が残っているが、それはルカによるものだという話である。そう言われてみれば、確かに彼は物事を鮮明に捉える視点をそなえている。そんなわけで、第三福音書が数あるキリスト伝の中で最良のものだと言ってさしつかえないであろう。・・・・・・・・

伝承は一貫してこの書の著者をルカに帰しているし、私たちとしても、この場合、この伝承を受け入れるのになんのためらいも要しない。当時の社会においては、書物の著者に有名人の名を引っ張りだすことは、ごく当たり前のことだったし、誰もそれを悪いことだとは考えなかった。しかし、ルカは、初代教会において有名人ではなかった。彼が実際福音書を書かなかったとしたら、誰がルカの名に帰すようなことを誰がしたであろうか。ルカは異邦人であった。ユダヤ人でない著者として、彼は新約聖書の中でユニークな位置を占めている。彼は医者を専業とした(コロサイ書4:14)まさにその事実が、彼にあのような広い理解を与えたのであろう。よく言われることだが、牧師は人の最良のところを見る、法律家は人の最悪のところを見るが、医者はあるがままを見る。

ルカは人人を見て、彼らを全員愛した。・・・・・

この書はテオピロという名の人物に献じられいる。彼はテオピロ閣下とよばれているが、この称号はローマ政府の高官の普通の称号である。ルカがこのような献呈の辞をを書いたのは、この熱心な探究者にキリストについてさらに良く知ってもらうためであった。ルカはさらに、より身近にイエスを実感せざるを得ないような画像を与えることに成功した

のである。・・・・・

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長年読みたかった、W・バークレーのルカの福音書が今日届いた。栗原さんが探し当てて、送ってくれた。ロマ書と一緒に借りることにしていた。こちらからは、へブル書と、今日、パスカルのパンセを送った。パンセの裏書を見ると。昭和42年1月15日。購入、仙台とあった。ヨーコちゃんまだ生まれてねーじゃないか。体調がおもわしくなく、神学校一年、休学するようだ。いろいろ厄介な病気を抱えている。俳優の渥美清が、「自分は病気のデパートだ」と言ったように、彼女も、病気の伊藤忠商事だと、言っている。確かに、実際会ってみると、やはり、神学校を卒業して、献身の道へ進むのは無理がありそうだ。