イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月14日(金):教会音楽は何が違うのだろう


『それはまだ、クリスチャンとして信仰を持つ前のこと、二つの音楽会に行く機会があった。一つはクラシックの殿堂で開催された超一流の外来絵演奏家のリサイタル。大変華やかな演奏に、客席で思わず「ブラボー」と叫んだ。大満足で家に帰ったものの、翌朝起きたときには心に何も残っていなかった。

 もう一つは家の近くの教会で行われたチャペルコンサート。名前も知らない演奏者で、特に印象に残る演奏でもなかったのに、その時奏でられた賛美歌のメロディーは、一週間立っても、ずっと心に残っていた。

 「何だろう、何が違うんだろう」そんな疑問を持ちながら教会の門をくぐったのは、そこでおこなわれるフルート教室の講師としてであった。大学卒業を前に父の会社が倒産し、長年住み慣れた家も手放した。まさにこれからデビューという時に経済的基盤を失い、決まっていたドイツ留学も諦めざるを得なかった。一家は離散し、とにかく一人で生きていかなければならない。毎日あちこちの音楽教室で教えて、演奏活動の資金を貯め、リサイタル活動も何とか開始していたものの、ライバルたちの華々しい国際舞台での活躍のニュースが耳に届く。大学時代の指導教官から教会のフルート講師を紹介されたのは、そんな時だった。

 それまで順風満帆に過ごしてきた人生だったのに。喪失の風が吹き荒れて、暗闇の中を必死で、もがきながらさまよっていた」。経済的危機に加えて、愛する人との別離、果ては健康まで失って大きな手術を受け、演奏家生命は危機に瀕していた。それまで自分が握りしめていた「三種の神器」(能力、経済的基盤、健康)はいざという時、何の支えにもなってくれなかった。その頃のわたしは、世の中が変わっても、人が変わっても、自分すら変わっても、絶対に変わらない「真理」を信じないと一歩もすすめないところまで追いつめられていたんです。』

 フルート教室講師としてやって來る紫園さんの求めるものが、教会の牧師に伝わっていた。「洗礼を受けましょう」との牧師の言葉に、」「ついにとらえていただいたんだ」と不思議な安らぎが心に満ちてきた。

 フルート奏者としての四十年は、そのまま教会の歩みに重なる。十五年前からは、教会の音楽伝道師として働き始めた。いや、音楽伝道師と演奏活動を続けている、というべきか。その原点でもある「チャペルコンサート」は、欧米では「人の心に届く一流演奏家がリーズナブルに楽しめる場」という認識があるのだという。「残念ながら日本ではまだそいう認識は弱いですけれど、教会での演奏を続けることで、クラシック音楽がもっと身近なものなると信じています」。

 「音楽伝道師は「紫園香デビュー四十周年記念フルートリサイタル~時空を超えて~」を10月17日に東京文化開会小ホールで開く。

クリスチャン新聞福音版10月号より、転載。

 ちえ子がこの福音版を教会前の掲示板に張っておいた。今日、午後武田産業の社長が訪ねて来た。会社は破産手続きに入ったという。すべて弁護士に委ねたとのこと、それでも、個人の負債1260万が残るという。自分たちの住んでる家屋敷が担保になっているので、この返済をどうするか、という事だった。借入先は、信金。これから話し合いに入るというが、私なら、すべてを投げ売って、新しい出発を始めたるのだが、決断が着かぬらしい。教会に入る前に、掲示板の、文章を読んでいたらしい、同じような人もいるものだなと、話していた、そう言えば、最初に来た時も、ちえ子によれば、じっと掲示板を見ていたという。そこには、年中、一つのみことば張り出されてある・。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい」