イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月31日(水):あの夏のかき氷 (岸義紘)

 

 

それは小学校4年生の夏のことです。僕はある町で、友達と二人でかき氷を食べていました。食べ終わりかけた時、道路工事のおじさんたちが店に入ってきました。(今なら逃げられる)。そう思った次の瞬間、僕はおじさんの陰に隠れて店から飛び出していました。カンカン照りの陽の中を走って・・・逃げて、逃げて、曲がり角に駆け込んで、ついに店が見えなくなりました。「やったぞ!」。・・・・・

一緒にいたのは親戚付き合いをしていた家の女の子で、夏休みにその子が我が家に泊りにきた後、僕もその家に行くことになり、そこへ向かう途中の出来事でした。逃げた後大分待っていたら、その子がやって来ました。無言でした。あぁ、ばれていないと浅はかにも僕は思いました。後から思えば、その子が僕の分まで払わされていた訳ですが、その時、その子は何も言わなかった。僕も黙って・・・気まずい思いで並んで歩きました。逃げ切った高揚感の中、ばつの悪さが残りました。それから長い間、それを思い出すたびに、悪いことをしてしまった・・・・いつかバチがあたる、とおびえていました。・・・・・

中学二年の時、イエス様の十字架が、僕の数々の罪の身代わりの審判であったことを知りました。そしてイエス様を救い主として信じ、罪が赦されたという安心感と喜びを得ました。「あのかき氷代は返すべきだ」と思い立ち、僕は遠いあの町へ行きました。何とかその店を見つけて、訳を話して10円を差し出すと、おばさんは(今時こんな子がいるんだ)と言う感激の面持ちで迷いながらも受け取ってくれました。・・・・・

帰り道に自転車を漕ぎながら思いました。ずっと苦しんでいた、かき氷。。。終わった。あぁ、赦された。良かった、良かった。すでにイエス様の十字架を信じた時から赦されているのですが、行動することで、解放されたと実感しました。・・・・・・

ところが、大人になってから気がついたのです。もしかして、あれはあの子が、払ってってくれたのではないか。あの子に謝らねば・・・・すでに長い年月が経っています、生きていれば80歳を越えていますが、今も捜しています。このことは、僕の人生の残りの課題です。人は愛されて、愛する。赦されて赦す、これはクリスチャンになって知った「生きる根本」です。神様の大きな愛で愛され、赦された人生。その愛と赦しで、これからも生きていきたいです。

【岸義紘:(きしよしひろJTJ宣教神学校創立者。講師、巡回伝道者、サックス奏者、その他著書多数)