イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

3月5日(火):米澤屋

二三日前町へ買い物に出かけた。大体十時ころ出かけ、二時間ほど買い物をして、お昼に食事をして帰る、というのがいつものパターンだ、その日も、「今日はどこで食事をしようか」と考えた末、久しぶりに「米澤屋」で、トンカツでも食べようかということになって、駅前近くの小路へ行った。駐車場に車を留めて、店へ行くと、閉店の看板がかかっていた、定休日でもないのにおかしいなと思って、見ると、何んと「廃業」のお知らせであった。実のところ、最近、臨時休業やら、時間限定営業があって、どうしたのかなと、心配していたところだったのである。しかし、この「廃業のお知らせ」にはさすがに愕然とした。・・・・・・思えばこのトンカツ屋に通い始めて、40年以上になる。その頃は随分人気のある店であった。トンカツ屋にしては割と高級感があって、客も、そうした人たちが多かった。会社の営業マンがよく、接待に使っていたし、役所の連中もちょくちょく、利用していた。私も、トンカツ好きだったので、どこの街へ行ってもその地のトンカツ屋を探しては、常連客になってきたような気がする。初代の「オヤジ」は中学時代の同級生と高校が同じだったので、随分親しくしてもらった記憶がある。十年ほど前、二代目息子に代わったが、思えばその頃から、少しづつ客を減らしてきたようだ。カツの厚さが薄くなり、客への対応がおろそかになっていたのは否めない。小さなことかも知れないが、その小ささが次第に客足を遠のかせてきたように思われる。時代の流れというものなのかも知れない。たかが、トンカツ屋、されどトンカツ屋、何となく、時代の流れを感じる、「旧き良き時代」のあのホクホク感のする、食事はもう味わえない時代になってきたのかも知れない。忙しい時代になってきた、何もかもが、ゆっくりものを考えるいとまさえ与えず、時は流れていく。

 

2月23日(金):ならず者たち

ダビデがサウル王の追及をのがれ、アドラムのほら穴にいるとき、しえたげられている人々、負債のある人々、心に不満のある人々も皆、集まってきた。』(サムエル上22:2)。このほら穴に不満や悩みを持つ人が集まってきたらしい。ダビデはそれらの長となった。・・・・上杉鷹山は、と言えばその藩政改革については学校の教科書にも載っていたくらい有名である。彼が藩主になった時、幕府に版籍を返上しようと思うほど、財政は逼迫していた。今風に言えば、北海道の夕張市みたいなものだったのである。鷹山が最初にしたことは、藩内で「冷や飯」を食っている者を集めよ、ということであったらしい。負債や、不満を抱え、しいたげられている、ならず者たちである。新しい藩主は、その彼らに藩政の改革を委ねたという。一般社会から認められない者たち、不良たちである「変人」たちでもある。・・・・・イエス様は言われた、「ザァカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるら・・・」さげすまれ、しいたげられ、心に深い傷を負っている者でなければ、イエス様のこのお言葉の優しさはわからない。ダビデのもとに集まった「ならず者」、鷹山が召した「冷や飯食い」。ザアカイ.

 

2月20日(火):ヨブ記


『ヨブは知らされなかった』。ヨブは自分の試練についての説明を知らされなかった。すべてが、この単純な事実にかかっている。ヨブが知っていたとしたら、信仰の余地をなかったし、火に試された金のようになることもなかった。神には、現在私たちにみ心を明かせないこともある。その事をしっておかなければならない。聖書は啓示としてだけではなく、「留保」としての意味もある。信仰を理解可能なものとするには十分な啓示があると同時に、信仰が成長するためは留保も必要なのである。・・‥繰り返しになるが、ここにこそ、この書の使信がある。すなわち、説明はあった、ただ、ヨブはそれを知らされなかったということである。結局のところ、この書においては、「ヨブの苦難」または、人々の苦難の意味ということは明かされていない。とてつもない、長い友人たちの弁論も、ヨブの反論さえ、的確な回答とは言えないのである。・・・・・

結局我々は、どこに帰っていくかと言えば、最終章のヨブの言葉に尽きる。

『私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました』。ヨブにとって、これまでの神に関する知識は、『うわさ』でしかなかったと表現するほど頼りないものであることを悟ったのである。そして、ヨブが実際に神を見、体験した時、新たなる真の知識が与えられた。『それで私は自分をさげすみちりと灰の中で自分を悔い改めます」。と、告白する者になった。

 

2月7日(水):小鳥への説教

ふと道端の一本の樹を聖フランシスコは見た。その樹にはあらゆる種類の小鳥がいた。ついぞ今までにこの地方に見かけない鳥さえいた。地上にも。樹の下にもたくさんいた。このおびただしい小鳥を見た時、、天の霊がフランシスコに降り、フランシスコは弟子たちを振り返り「ちょっと待ってください。私は小鳥の姉妹たちに説教しましょう!!!」。と言った。そこでフランシスコは、地上の小鳥たちの方へ歩んだ。説教が始まるか、はじまらないうちに、樹の上の小鳥たちははばたいて、フランシスコの所に降りて来た。フランシスコの衣が何羽かの小鳥に触れるほど近寄っても、少しも身じろぎもしなかった。フランシスコは小鳥たちに話す。「私の姉妹、小鳥たちよ、あなたがたは沢山の御恩を神から受けている。それでいつも、どこでも神を賛美しほめたたえなくてはなりません。何故でしょう。あなたたちはどこへでもあなたの行きたいところへ飛んでいける。そして、二重にも三重にも重ねられたその着物や、色とりどりの美しいその衣裳や、また生きるために働く必要のない食べ物や、創造主があなた方に教えられた綺麗な声のためです。あなたがたは種まくことも、刈り取ることもしませんけれども、神はあなた方を養っておられます。飲むためには川や泉を、身をかくまうためには山だとか丘だとか、崖だとか、岩だとかを。また、あなた方ねぐらを造るためには高いもろもろの樹をお与え下さっている。あなたがたは紡いだり、織ったりすることはできないけれども、神はあなたたちや子供たちのために必要な着物をお与え下さっておられる。このように大きな恵をあなた方に創造主はお与えになっておられるから、あなたがたは創造主を深く愛しなさい。あなたたちは恩知らずでないように、神を賛美することにいそしむように、よく気をつけるのですよ!!!」

この聖なる言葉が終ると、この小さな小鳥たちは、嘴を開けて、はばたいて、首をのばし、うやうやしく地に頭を垂れて始めた。そして歌と踊りでフランシスコの話が非常に楽しかったことをあらわした。フランシスコはこれを見て、心がわくわくとして歓びにたえなかった。こんなにたくさんのしかも種々異なった小鳥がなついて来る。聖フランシスコは、小鳥たちに創造主だけを賛美するように、優しくすすめた。。・・・・

こうしてフランシスコは説教し、神を賛美するように勧めおえると、小鳥たち一同の上に十字架の印をした。すると、小鳥たちはすぐさま舞い上がり、力強くさえずりながら、別れて飛んで行った。

アシジの街全景。この町の両端に、フランシスコの修道院、一方にクララの修道院がある。

 

1月26日(金):偽りの口実

 

『わたしに向かって、「主よ、主よ」という者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父のみこころを行う者が入るのです。その日には大ぜいの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。」しかし、その時、私はかれらにこう宣告します。「わたしはあなた方を全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れていけ。」(マタイ:7:2ー3)。

この箇所には驚くべきことが書かれている。イエスは、偽預言者が、不思議な事、目をみはるようなことを、言ったりすることができることを率直に認めている。ここで我々は、古代社会の様子を知らなければならない。古代社会では奇跡は珍しい事ではなかった。それは、昔の人たちの病気に対する考え方によるのである。昔の人たちは、病気は皆悪魔が悪辣な力を発揮して、人の体のどこかに入り込む時病気が起こり、悪霊を追放する追放する時病気は治る、と信じていた。従って、ほとんどの病気は今日でいう心理的なものである。治療もまた心理的なものであった。もし誰かに悪霊に魅入られてその虜になっていると信じ込ませることが出来れば、その人は必ず病気になった。また悪霊の虜から解放されたと信じ込ませると、その人は癒されるのである。昔の人は悪霊にとりつかれると信じて病気になり、また、悪霊が追い払われたと信じて病気が治ってのである。・・・・・

新約聖書の中にさえユダヤの魔術師のことが書かれている。この人たちは自分が習得した魔術の他に、イエスの名を使って悪霊を追い出している(使徒19:13)。多くの藪医者たちは口先だけでイエスを褒め、その名を使って、悪魔にとりつかれた人たちに治療に著しい効果をあげている。・・・・・

エスは言われる。虚偽の心でイエスの名を利用するひとたちは、いつか、必ず裁かれなければならない。その時には、その本心が暴かれて、神のみ前から追放される。この箇所に2つの不滅の真理が示されている。人間の誠意を示す道は一つ、それは実行することである。美しい言葉は立派な行いの代わりにはならない。愛を示す唯一の道は服従である。人を愛すると言いながらその人を悲しませることをしたのでは、愛していることにならない。信仰の信条をのべるのは容易であるが、クリスチャンとして生活することはむつかしい。行いのない信仰は矛盾があり、服従のない愛は偽りである。・・・

この箇所の背後には審判の思想ある。ここに一貫して流れる思想は、何時か、必ず裁きの日が来る、と言うことである。人は長い間外見を繕うことはできても、何時かは見破られ、偽装ははぎとられる時が必ず来る。我々は、言葉で人を欺くことはできても神を欺くことはできない。『あなたは、遠くからわが思いをわきまえられます』詩篇139:2.誰も、われわれの心を見る神を最後まで騙すことはできない。

 




1月25日(木):世の光り

『あなたがたは、世界の光りです。山の上にある町は隠れる事が出来ません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人人々を全部照らします』(マタイ:5章14~15)

これはクリスチャン個人へ与えられた最大の賛辞である。イエスはこの言葉の中にクリスチャンの模範を示されるが、それがまさに、「わたしは、この世にいる間は、世の光りである」(ヨハネ9:5)と言われたイエスの本質でもある。イエスは弟子たちに、世の光りになれと命じられた。それは彼らが、イエスと同じものであれ、との要求なのである。イエスの言葉は、初めてこれを聞いたユダヤ人にもそれほど抵抗はなかったであろう。ユダヤ人自身も、エルサレムを「異邦人の光り」呼んでおり、有名なラビを、しばしば、「イスラエルの光り」と称していたからである。イエスの言われた意味を理解するためには、ユダヤ人がこの言葉をどのように使っていたかを知る必要がある。・・・ユダヤ人は、あかりをは自分でつけるのでないことをはっきり知っていた。エルサレムは「異邦人の光り」であったが、「神がイスラエルのあかりをともされた」のである。イスラエル民族や預言者たちの放った光は、反射する光であった。クリスチャンも同様である。イエスは、われわれが自分から光を発するのではなく、、イエスの光りを反射するように命じられる。クリスチャンの輝きは、イエス・キリストによってこころの中にともされる光である。

(1):光は人に見られる。パレスチナの家は直径45センチくらいの丸い窓があるだけで、内部は非常に暗かった。ランプは深皿のようなもので、脂が一杯入った中に燈心が浮いていた。その頃はマッチがなかったので、ランプを消すと、再度点火するのがむつかしかったので常に、燈心は消さずにおいた。外出するときはその灯心を絞って、用心のために枡の上に置いた。帰宅するまで安全にランプが灯っているためである。ランプの光は第一に人に見られるためであった。キリスト教もまた、人に見られるためのものである。「かくれた弟子と言うのはありえない。人に知られなければ弟子資格を失い、弟子であればかくれていることはできない」。我々の信仰は、全ての人にみとめられるものでなければならない。様々な日常の事柄においてそうである。あなたがたは「教会の光り」であるとはイエスは言われなかった、「あなたがたは世の光り」であると言われたのである。

(2):光は人を導く。

河口にライトがついていて、船が無事に河に入って来られるようにしてる、街灯のない町は歩きにくい。光は道を照らす。クリスチャンは他の人のために、道を明らかに示さねばならない。模範を示さなければならないのである。誰かが不正なことを行おうとしている時、誰も反対しなければそのまま不正が行われてしまうであろう。「わたしはそんな仲間に入らない」と言えば、周りもそう言う人が出て来るだろう。クリスチャンの務めははっきりとした態度を示すことである。

(3):光は警告する。

前方に危険がある時、光は、停止するように警告する。クリスチャンの務めは、同胞に必要な警告を与えることである。忠告するのは困難である。しかもその忠告が、人の害にならず、益になるようにするには一層困難である、「もし、あなたが、こうなる前に忠告して下さったら、今のようにならなかったでしょうに・・・」ということがある。

『昔、聞いた逸話だが、ある父親が、刑務所にいる息子に面会にいった際、父親に向き合っていた息子が、両手を後ろで縛られていたので、父親に噛みついたという、そして言った「お前がわしを、ちゃんと育てなかったから、こうなったんだ!!!」。・・・

 

1月19日(金):サムエルの晩年

 

『サムエルは年老いて、その子らをイスラエルのさばきつかさとした。長子の名はヨエルといい、次の子の名はアビヤと言った。彼らはベェルシバでさばきつかさであった。しかし、その子らは父の道を歩まず、利に向かい、まいないを取って、さばきを曲げた(8-13)。神の人サムエルに、どうしてこのような子が出来たのであろうか。エリは、その子が呪うべきことをしているのを知りながら止めることをせず、神よりもその子を尊び(3:13,2:29)、ついに彼らを放縦に走らせ、滅亡の淵に急がせた。しかし、サムエルは、エリのような軟骨ではなかったはずである。では、彼の生涯にその子を感化することが出来ない欠陥があったのだろうか。否、彼はその生涯において最も公正であった。彼は民の前ではばかることなく言った。『見よ、・・・私は年老いて髪は白くなった。私の子らもあなたがたと共にいる。わたしは若い時から、今日まで、あなた方の前に歩んだ。私はここにいる。主のまえと、その油そそがれた者の前に、わたしを訴えよ。わたしは誰の牛を取ったか、誰のロバを取ったか。誰を欺いたか。誰をしいたげたか。誰の手からまいないを取って、自分の目をくらましたか。そのような事があれば、わたしはそれを、あなた方に償おう。』。民は答えた。「あなたは吾々を欺いたことも、しえたげたこともありません、また人の手から何も取ったこともありません・・・(主はこれを)あかしされます」(12:1~5)

そればかりではなく、サムエルには偉大な神の力が宿っていた。後年、サウルがダビデの敵となって、サムエルのもとにいるダビデを捕らえようとして使者をつかわすと、三度まで彼らは神の霊に打たれ、彼らもまた預言者の群れに加わって預言し、帰途を忘れてしまった。遂にサウル自身も出向いたが、彼もまた着物を脱いだ、同じ様にサムエルの前で預言し、1日、一夜、裸で倒れ伏すという結果になった。(19:19~24)

このように偉大な神の人が、その子を感化することが出来なかったとは思えない。しかし、サムエルの一生は余りに多忙であった。民を治め、教えるために時間も足らず、各地を巡回して留守がちであったようである。子供の教育はすべて、妻の手にゆだねられ得ていたのであろう。家庭に中心は何といっても母である、最も強く親しい不断の感化を子に与えるのもまた母である。サムエルの妻がどのような人物で暖か知ることはできないが、サムエルの母ハンナについて多く語っている聖書が、サムエルの妻については何も語っていないところから推測して、おそらく理想的な妻でなかったのであろうと思われる。子供をしばしば母の姿の反射鏡である。二人の子は父に似ず、母の感化を多く受けたのではあるまいか。晩年になって、サムエルのからだが思うにまかせず、家に留まる事が多くなってからは、その孫たちは彼の感化を受ける木か愛を得たのであろう。彼の孫にあたるヘマンは、歌を歌う者であり、また王の先見者としてダビデの王国の大立者一人となった。(歴代誌上、6ー33,25ー4ー6)。・・・・・・・

しかし、とにかく、サムエルの子らの堕落は、イスラエルの民が「王」を求める口実となった。イスラエルの長老たちは、サムエルのもとに来て言った。「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今は他の国ぐにように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」サムエル上8-5)。これはサムエルに対しては謀反であり、排斥運動である。これを聞いてサムエルは喜ばなかったのは当然である。しかし、サムエルは怒らず、神に祈った。神はみこころ示された。「民が、全てあなたの言う所にの声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである・・・今その声に聞き従いなさい」。主のみこころは寛大である。そむく民をなおもお捨てにならない。主にお仕えする人も寛大でなければならない。・・・・

サムエルがその民のためになした配慮は、実に至れり尽くせりである。まず、王に常例を示してあらかじめ警告し(8:9ー18)。それから彼らのためにサウルを王として選んだ。サムエルは、イスラエルは主の支配にある時にだけ幸福であることを知っていたから、何とかして神のみ旨に従って政治を行う王を立てようとした。サウルが主にそむいたことを知ると、サムエルは深く憂いて終夜主に呼ばわり、ついにダビデを王としてサウルの代わりに油を注ぐに至った。サムエルの眼中には、神の栄光とイスラエル幸福以外は何もない。それゆえ、散々自分を踏みにじった民のためにも、『わたしはあなた方のために祈ることを止めて主に罪を犯すことは、決してしないであろう。わたしはまだ良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう』と言っている(12-23)何という懇切さであろう。今まで一緒に行動していても、何か問題があるともはや何の援助もあたえず、そのために祝福を祈る子音さえしない人々が多くある世にあって、サムエルの寛容な態度は、私たちに多くのことを教える。・・・・・

サムエルはついに死んだ、イスラエルはそれを悲しんだ。彼の存在がどれほどの力で暖か。彼の死後にいよいよ痛切にそれを感じたであろう。サウル王などは、死んだ彼を呼び起こして助けを求めようとしたほどである(28章)サムエルの感化は後世におよび、彼の油そそいだダビデ王の手によって、イスラエル王国は堅く立ち、彼が創設した預言者学校によって、主の教えは隆盛に向かったのである。彼歯、メシヤ王国に至るまでも永久に記念されるべき、偉大な神の人であった。