イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月6日(水):歌人 窪田空穂

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「遺愛集」という歌集がある。島秋人、死刑囚が獄中で詠んだ一冊のつましい本である。それに、窪田空穂が序文を書いている。・・・・・

空穂は、島秋人を「悲しむべき人」と書いている。かなしみのない人はいない、異例な人としてかなしいと書いている。・・

歌人としての空穂の偉大さは知っているが、「歌」についてはあまり知らない。彼もまた、悲しみを背負った人のように思われる。・・・若い頃、ある篤農家に婿入りしていた。ある時、

妻女が人目を憚る(はばかる)ように彼に、いくばくかのお金を握らせた。いわゆるたばこ銭である。「悲劇とは何処にも悪意が無いのに悲しい結末に向かうものである」

彼の妻に悪意などあろうはずがないのである。むしろ、その逆であったろうが、「空穂青年」は自分の置かれている「身分」

に愕然とした。普通の男ならば何でもないことであった。むしろ、優しい妻に感謝したであろう。しかし、空穂のプライドは、その心は激しく傷ついた。彼はその家を出て、二度と戻らなかった。・・・・・・

島秋人の歌集への序文は昭和39年に書かれている。後記を書かれた御子息の窪田章一郎(早大 教授)の日付は42年4月

16日。因みに、秋人の処刑日は同月2日。息詰まる緊張のなかで事はすすんでいた。歌人空穂は既に、鬼籍の人であった。もうこの世にはいなかった。しかし、重要な事をしるしている。

『私には一つの信念となっているものがある。それは幼少のころ、漠然としたものながら、第一印象として、世間というものはこうしたものだ、これが当たり前だとして受け入れた印象は生涯を通じて変わらないものだということである。その力は

強く運命的なものである』・・・・これは空穂にとって、重要な言葉である。毎日新聞の歌壇の選者と、投稿者に過ぎなかった者の歌集に、このような一文を書いた「師」のその思い入れの深さを覚える。まことに誠実な人であったのであろう。

・・・トルストイはその「戦争と平和」の中で、「人は学べば学ぶほど明るくなっていく人と、学べば学ぶほど暗くなっていく人ががいる」と書いているという。これらのことも、元をただせば、空穂が語る様に、幼少期の心に映し出され「世界観」

が人をしてそうさせているのであろう。・・・・・・

「詫びる日の迫り來し今ふるえつつ

       憶ふことみな優しかりけり」秋人

  この一首を遺し、キリスト者として処刑台に立った。

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今日は、母の日のために、信徒さん達に、ちえ子とお花を配ってあるいた。3密とやらを避けて玄関先で・・・困ったことだ。・・・・