イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月7日(日):破・戒 村八分

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【意味】:村八分とは、仲間外れにすること。村の掟や秩序を破った人や家に対して、村民全部が絶交するもの。

【語源と由来】:村八分は江戸時代からの習慣で、十分ある交際のうち葬式と火事の際の消火活動以外は協力しないということから八分するとも言った。・・・島崎藤村の小説「破戒」は

村八分に関するものではないが、今は差別用語とかでこんな言葉は使ってはいけないのだろうが、「部落民」「非人」「河原者」など、日本社会に古くからある、「人種差別」を取り扱った本である。昔、読んだ記憶はあるが内容は殆ど忘れかけている。ただ、人間の心のおぞましさだけは深く心のうちに刻み込まれている。・・・・・

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    ☆         ☆         ☆

2~3~年前、一人の人が亡くなった。地元の高校の教諭を務め、退職してから福祉関係の分野で活躍していた人である。学校が違ったので、私は直接教わることはなかったが、いろいろあだ名があって、教師としては「有名人」であった。村の中心部の大きな家屋敷に一人で暮らしていた。その人が「突然死」

した。ところがそれが何日も、誰にも気づかれずにいたのである。この出来事について、「部落会長」が会報に文章を書き、

やんわりと怒った。村八分と言えども、火事と人の生き死に

かかわる事は除外されている。もっと、隣近所のことに心くばりをするように、ということであった。その先生の家の近所の人達はお叱りを受けたかたちであるが、それにしても先生自身も、あまり近所付き合いをせず、何となく「孤高」のひとであったような気がする。・・・・・・・・

 

エス様の時代、取税人は村八分にされていたようなものである。人と人との間で一番醜いのは人を無視することである。

人が互いに言い合い、喧嘩し悪口を言い合うのは「お友達」だからである。「無視」はその存在を否定されることである。無視は死を宣告されているのと同じことである。これだけは絶対してはならない。最悪でも、八分に留めておくべきである。

【為さざる罪】私は何も悪いことをしていない。そのことが問題なのではない。それでいいのか?。主は、私にそれを問われる。・・・・

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今日の礼拝から、通常に戻った。皆元気で何よりだった。

順子さんが、合唱を辞めたとのこと、本当のところほっとした、どういう訳か、いじめられやすい人で、早くやめればいいのにと思っていたが、言い出せずにいた。別に楽しい事を探せばいい。