イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月3日(月):テモテよ

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『これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい』Ⅰテモテ5章23節

私の母教会は、案外古風な教会だった。酒、たばこも、ダメ。結婚も信者同士以外は、(信じられないかもしれないが)陪餐停止になったものだった。酒タバコは隠れて飲んでいてもそれなりに済んだが、結婚だけはごまかせない。もちろん現在はこれらの「戒律」はある程度緩和されているが

依然として教会の雰囲気としてはそんなものが、残っている。

そんな教団のお偉い人が、スイスで行われたキリスト教の国際的会合に出席して、驚いて帰って来た。そこでは会議が終わると、出席者のお偉方は

ワイングラスを片手に、陽気におしゃべりを始めるというのである。英語の達者な先生だったので、「クリスチャンが、そんな風にお酒を飲んでいいんですか?」と尋ねると、逆に笑われてしまったと。帰って来てから話していた。飲酒を厳禁しているキリスト教宗派のあることは事実である。それはそれなりの「見識」であろうが、パウロが禁じているのは、「深酒」であることは間違いない。日本では、クリスチャンは酒もたばこもやらないというのが「レッテル」と言うか、常識になっている。そのことは、そのことなりの根拠がある。体質が違うのである。日本人は酒飲みのように見えるが、

実際は、体内のアルコール処理の能力が、欧米人に比べ低い。だから、少し飲むと、酩酊する者がいる。欧米人は、アルコールの処理能力が高いので、よほどのたわけ者でないかぎり、陽気に、ワインを楽しむのである。

とまぁ、こんな具合である。それに、私の偏見と、独断を加えると。

クリスチャン=禁酒、禁煙のイメージが、教会の敷居を高くしているのではないかと思ってみたりもする。もとより、教会の集まりの中での、飲酒喫煙は禁じられてもいいが、ただ、それが、クリスチャンの必須条件となると、いささか異論がある。E・F ブラウンとかいう人がこのことについて適切な事を書いている。『完全な禁酒が賢明な策としてすすめられようが、それが宗教的な規則として強制されるべきではない』。

パウロが、テモテよ。と語っているのは、いたずらに禁欲主義に傾くな。と諭しているのである。いろいろな宗教がある。そしてそこには必ずと言っていいほど、禁欲的傾向に走る者たちが出る。元々、体の弱かったテモテにも現われたそうした傾向を、パウロは諫めているのだろうと思う。

カナの婚礼に、弟子を伴って(いそいそ)と出掛けられた、イエス様と、

バプテスマのヨハネの違いが、このあたりにあるのかなぁ・・・・・

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あの爺さん、きっと、飲んでるよ

親父は大酒飲みだったが、幸か不幸か、遺伝せず下戸である。

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ワインは少し飲めるよ。でも面倒くさいので、飲まない、買わない。

今日は、ちえ子の検査の日、大丈夫なようだ。