言わずと知れた彼の代表的短編小説。ノーベル文学賞のきっかけとなった。まずはあらすじから紹介していきましょう。
キュウバに住む老人サンチャゴは、漁師である。助手の少年と小さな帆かけ舟でメキシコ湾の沖に出て、一本釣りで大型魚を獲って暮らしを立てている。あるとき数か月にわたり一匹も釣れない不漁が続き、少年は両親から、別の船に乗ることを命じられる。
助手なしの一人で沖に出た老人の針に、巨大なカジキが食いついた。老人はかかった糸を素手で操り、獲物が弱るのを忍耐強く待ちながら、昔船員だった若い頃アフリカで見たライオンの群れことなど、とりとめもなく思い出す。力自慢の黒人と演じた一晩がかりの腕相撲勝負ことなど、過ぎた昔のことなどとりとめもなく思い出す。3日にわたる孤独な死闘ののち、老人はカジキを仕留めるが、獲物が大きすぎて舟に引き上げられず、横に縛り付けて港へ戻ることにした。
しかし、傷ついた魚から流れる血の臭いにつられて、老人の舟はアオザメの群れに追跡される。舟に結び付けたカジキを執拗に襲い、肉を食いちぎるサメの群れと、老人は必死に闘う。しかし鮫がカジキに食いつき、カジキは次第に食いちぎられていく。老人が鮫を突き刺すたびに、新しい血が流れ出しより多くの鮫が襲ってくる。望みのない戦いを繰り返しながら老人は考える。人間は殺されることはある。しかし、敗北するようにはできていないのだと。・・・・・『この作品に対する書評を少し読んでみたが、どこかピントがずれているような気がする。青森の大間では、大マグロを釣り上げると、何百万もの値がつくという、そのために漁師は荒れた海に出ていく。しかし、ヘミングウェイは、そういうこととは別にその主題はあくまで、3日にわたるカジキとの「死闘」を描きたかったのだと思う。だから、敢えて港についたとき、魚は骸骨になっていたと、記しているのだろうと思う。そう、ずっとそう思ってきた。成果よりも戦うことが彼の、本分だったのだろう』・・・・・
ようやく漁港にたどり着いたとき、仕留めたカジキは鮫に食い尽くされ、巨大な骸骨になっていた。港へ帰ってきた老人の舟と、横のカジキの残骸を見た助手の少年が、老人の粗末な小屋にやって来たとき、老人は古新聞を敷いたベットで眠っていた。老人はライオンの夢を見ていた。
アメリカの小説はあまり読んだことがない。唯一、ヘミングウェイだけはその代表作は、よく読んだ。映画の全盛期で、映画も観た。「武器よさらば」は傭兵の将校が恋をして、二人でスイスの国境へたどり着くまでの物語であった。
「誰がために鐘は鳴る」は確かスペイン動乱の物語であったように思う。あぁ、キリマンジャロの雪・・・懐かしい思いがする。・・
彼の最期は、自殺説もあるが、暗殺説もささやかれた。闇の中で誰も確かなことは分からない。アメリカも「反共」の暗い時代であった。・・・
グレース・ケリー(?)。あの美しい女優さんが、演じたのはどの作品だったか思い出せない。老人はボケたか?・・・・・・
さて、さて、昨日は猫のアルのことを付け加えたが、調子に乗って今朝もこの通り。どうやら、私を見下ろしていなければ気が済まないようで・・動物愛護センターへ返すぞと脅しても・・・(ニャ~ン;訳せば、あぁ、わたしはセンターへは帰れない)
ビルマの竪琴のインコの口真似をする(?)・・・・