イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月31日(土):殉教者 ソフィア

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紀元120年~130年頃、イタリアにソフィアという婦人がいました。夫はミラノ市の貴族院議員でしたが、長女が12歳の時、三人の娘を残して病死しました。ソフィアは賢婦人としての誉れも高く、その上信仰心もあつく、残された生涯を神様のため過ごしたいと決心していました。・・

三人の娘には、フィデス(信仰)、スペース(聖)、カタリス(愛)と、

それぞれ名前をつけました。また多くの財産も、貧しい人々に分け与えました。それだけでなく、当時はクリスチャンへの激しい迫害が行われていましたので、牢獄につながれているクリスチャン達のために、いろいろ手立てを尽くし、懸命に尽くしました。彼女は毎朝、まだ暗いうちから起きて祈りに励み、またしばしば断食をして祈っていました。

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【皇帝の前で】この当時のローマの皇帝は、ハドリアヌスでしたが、彼の迫害のために殉教者が次からつぎへと出たのでした。そして遂に、ソフィアと三人の娘も捕らえられて裁判に引き出されることになりました。皇帝はいつもなら直ちに死刑に処するところですが、四人の姿があまりにも気高く、清らかであるため、殺すには忍びず、棄教させて助けたいと思いました。皇帝は優しく語り「お前たちは騙されて、邪教を信じているに違いない。夫は貴族院議員で会ったのだから赦してやろう、そこで先祖伝来の

神に焼香するのだ」と命じました。しかし、ソフィアは毅然とした態度で、「私の先祖は間違った偶像を信じて悪魔に仕えてきました。私たちは

たとえ皇帝の御命令でも、偽りの神に焼香はできません」と答えました。

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皇帝はその言葉に驚き、激しく怒りましたがそれでも殺すことはせず、最高の官吏の邸宅にあずけて、三か月間、棄教させるために専門の異教教師をつけて説得させました。しかし、四人の親子はますますイエス・キリストへの信仰が深まるばかりでした。

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【娘たちの殉教】遂に皇帝は刑罰を下さないわけにはいかなくなりました。まず長女が引き出されて鞭打ちの刑にあいました。彼女の柔らかな皮膚は破れ、血で体が真っ赤に染まりました。それでも信仰を捨てませんでしたので、次には煮える釜の中に投げ込みました。ところが火が消えて害を受けません。最後には首を斬り落とす事になりました。母と二人の娘はフィデスのために祈り続けました。フィデスは二人の妹たちに向かって、

「私たちは洗礼を受けた時、神様に約束した事を決して忘れないでね」

と言いました。それが最後の言葉となりました。次には、スペースも引き出されました。しかし、やっぱり信仰を捨てませんでした。煮える釜の中に投げ入れられ、さらに鉄格子の上に座らせました。肉が破れ骨のあらわれるまで拷問が続きフィデスと同じく斬首の刑にされました。母ソフィアは二人の娘が殉教の冠を得たことを喜び、末娘のカリタスにもはかないこの世に目をとめず、永遠の幸福を望み見て、二人に続くよう励ました。そして、カリタスも同じように殉教しました。

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【ソフィアの殉教】このように自分の目の前で、次々となぶり殺しにされる娘を見る母の心はどれほどの苦しみであったでしょうか。ソフィアは祈りつつ殉教を待ちました。しかし、皇帝は母が死を望んでいることを知りながら、娘の死骸を与えて放免しました。娘の屍を葬った彼女は、殉教を望み、二か月後の9月30日に望み通り天に召された行きました。

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