イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

12月5日(土):世界の希望

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我々はパウロが神のことを救い主と呼んでいるのを忘れてはならない。我々はともすると、贖罪やイエスのしたことについて誤った考えを持ちがちである。イエスは神の怒りをなだめた。という言い方が時々聞かれる。

そういう言い方をする人々は、優しい愛に満ちたイエスと対立するものとして、怒りっぽい、残忍な神というイメージを押し付けようとする。彼らの考えでは、怒った神は我々を破滅させることばかり考えていて、神の怒りはイエスによってはじめて愛に変えられた、とされる。新約聖書の何処にも、そのような考えを証拠立てるものはない。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった」(ヨハネ3;16)・・・・・

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救い主であるのは神である。救いの業の背後にはすべて神の愛がある。神は我々を愛するようになだめられ、説得されねばならなかった、というたわごとを考えたり、説教したりしてはならない。なぜなら万事は神の愛から始まるのだから。・・・・・・・

世界の希望・・・ここでパウロが用いている称号は、イエス・キリスト

イエス・キリストの偉大な称号の一つとなるべきものであった。「我々の望みであるキリスト・イエス」。詩篇の記者は「わが魂よ、なにゆえうなだれるのか」と自問し、「神を待ち望め」と自答した。パウロその人も、「あなた方のうちにいますキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)

と語っている。・・・・・・

初代教会において、キリストの称号のうち最も大切なものの一つになった。アンテオケのイグナチウスは、ローマでの殉教に上る途上、エペソの教会に宛ててこう書いている「父なる神と我らの共通の望みであるイエス・キリストにあって勇気を出しなさい」。人々はイエス・キリストに彼らの望みを見たのである。・・・・・・

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人々はキリストのうちに道徳的勝利と克己の望みを見出した。古代世界は罪を知らないわけではなかった。それは自らの道徳的退廃を意識していなかったわけではなかった。エピクテトスは、「我々は必要不可欠なことになるとかく弱い」と語っている。セネカも言っている。「我々は自ら良いと決めたことに、勇敢に耐えたためしがない。我々の意志と抵抗心とを軽蔑すれば、われわれはもはや無罪ではありえなかったであろう。単に過ちを犯したというにとどまらない。我々は最後までそのように振る舞うであろう」。・・・・・

キリストが来たのは、何が正しいかを人々に教えるためだけでなく、正しい事を実行する力を与えるためであった。彼は義の使信をたずさえてきたのみならず、罪を克服する力という贈り物をたずさえてきたのである。キリストは道徳を失っていた人々に、道徳的敗北にかえて道徳的勝利の希望を与えたのである。・・・・・・

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人々はキリストのうちに環境に対する勝利の望みを見出した。キリストが世に出たとき、それは人権が危機に瀕していた最もおそるべき時代であった。ローマの歴史家タキトゥスキリスト教の黎明期の歴史を書くにいたったとき、次のような言葉で始ている。「私は今、悲惨に満ち、戦争の暗雲に閉ざされ、動乱に引き裂かれた歴史にとりかかろうとしている。いな、この時代は平和なときにすら残忍でであった。四人の皇帝が剣で滅びた。三回の内戦があった。さらに多くの外国との戦争があり、時には両方が同時に勃発した。・・・ローマは相次ぐ大火によって荒廃し、その最古の寺院が焼かれ、首都そのものがローマ人によって炎に包まれた。聖なる祭儀は汚され、海は捕虜で満ち、島の岩は虐殺の血で濡れた。しかし、ローマの狂乱ぶりはさらに手のつけられないものだった。身分も、富も職位の拒否も受容も、すべてのものが犯罪につながっていた。そして、有徳は破滅への最も確実な道であった。密告者の報酬すら彼らの行為よりいまわしいものではなかった。ある者は僧侶の職や執政官の職にあって、ある者は地方長官の職に、ある者は皇帝の背後にあって、それぞれ私服をこやしていた。・・・・・」。

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こうした時代全体が「神経衰弱」にかかっていたようなものである。人々は「世界の荒れ狂い押し寄せてる混沌に」に対する防波堤を待ち望んでいた。まさにその時代に人々に生きる力を与え、もし必要なら死ぬ勇気を与えた人、それがキリストその人であった。この地上のなにものもイエス・キリストにおける神の愛から自分たちを引き離すことが出来ない、という確信の中に、人々は戦慄の時代が必要としていた環境の克服を見出したのである。・・・・

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人々はキリストのうちに死に対する勝利を見出したのである。人生は単に苦痛に満ちた生とその後に来る消滅だけでないという確信、人生はあるところに向かっているのだという確信、を彼らは見出した。人々のうちに、ほろびゆくものに対する力と滅びることのない希望とを同時に見出した。我々の望みであるキリスト、この称号はとき(鬨)の声であったっし、これからもそうであろう。・・・・・・『私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令によるキリスト・イエス使徒パウロから』(テモテⅠ1章1節)

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随分難解なバクレーの解説を紹介した。こういう文章が難解に感じるのには幾つかの要因がある。まずは、まずはカタカタ語の地名や名前に慣れていない事、第二に、文化的相違がある事、第三に翻訳者の力量の問題がある事、それにバークレー自身の著述の仕方が、ユダヤ的並行方式で書かれている事、等々が考えられる。明治の時代に、西欧から哲学という学問が日本に紹介されたが、そもそも「哲学」という概念が、中国には存在せず

漢字を使用していた日本は、新たに「哲学」という言葉、語彙を作り出さねばならなかった、という経緯がある。・・・・それでもこのバークレーの解説は大切なことを私たちに教えてくれていると思う・・・・

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あぁ、今日は疲れたわ!何か面白いお話教えて・・はいはいお嬢様

妻が体重計に乗って、体重を測っていたが、お腹を手で押さえつけようとしていたので。夫が言った。お腹をへこませたって、体重は変わらないよ。「だって、目盛りが見えないんだもの」・・・「う~ん、そこまできたか・・・・」

 

かゆみ止めの薬・・・・注意書きに副作用に(かゆみ)とあった。・・・