『あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るから』伝道の書11章1節。
有名な言葉である。元来は慈善行為をすすめたものだとの説もあるが、伝道に関してこの言葉がよく引用される。私が神学生のとき、牧師に連れられて路傍伝道に出かけたことがある。提灯と木箱を提げて街角に立ち、そこで牧師は説教した。大勢の人たちが街に出て行き来していた。牧師はこれらの人々に向かって説教したのであるが、だれ一人足を止めて聞く人はなかった。説教が終わると、牧師は私にも何か話せよと言った。私は大きな声で「皆さん」と呼んだが、やはりだれも足を止めてくれなかった。ただいたずら盛りの子供たちがちょろちょろしているだけだった。話が終わってなんとも言えぬ気持ちで教会に引き揚げてきた。片手に木箱、片手に提灯をぶら下げた私の姿は見るもあわれであった。私は恥ずかしさと、信仰に耳をかさない人々に対する憤りで腹が煮えくり返る思いであった。
そんな私の心を子供たちが「アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン」と言ってからかった。私は後ろを振り向き彼らをにらみつけてやった。教会に帰り着くと牧師はすぐに感謝祈祷会をしようと言った。私はこれを聞いてまた腹が立った。「何が感謝や、これやからキリスト教はダメなんや、腹が立ったら立ったでいいじゃないか。その方がよっぽど正直や」。しかし牧師に促されて仕方なく祈祷会に加わった。その時牧師は賛美歌536番を歌おうと言った。・・・・・
むくいをのぞまで ひとにあたえよ
こは主のかしこき みむねならずや
水の上に落ちて ながれしたねも
いずこのきしか 生いたつものと
あさきこころもて ことをはからず
みむねのまにまに ひたすらはげめ
かぜに折られしと 見えし若木の
おもわぬ木陰に ひともや宿さん
私はこの歌を歌っている間に自分が恥ずかしくなり、今さらのように自分の信仰のなさを恥じた。それから、二十年ほどしたとき、私のところに神学部の新卒生が派遣され来た。私は彼と面接しながら、ふと彼の住所を見ると以前私がいた教会の近くであった。それで、あそこの土地でこんなことがあったと話したら、彼の方が先に気付いていたらしく「先生、あの時、アーメン、ソーメン、ヒヤソーメンと言ったのは僕です」ということであった。私は、あまりにも奇しき神の御業に、しばし、茫然とした。
まことに、「多くの日の後、あなたはそれを得る」であった。・・・・
(榎本保朗一日一章より)
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その昔、私も仙台の街で、木箱と拡声器を抱え、榎本先生のように、叫んだこともあった。これって、「自己満足」じゃない?・・などと不埒な考えも浮かんだものだったが、そうした経験なしには、多分、信仰の成長は覚束ない事なのかもしれない。・・・・・・
うちみのさんからメールがあって、内山牧師のインターネット礼拝のメッセージを聞かせて頂いた。かの地は、コロナの影響で礼拝がままならない様子で、先生たちが、礼拝のCDを届けたり、いろいろ工夫をしながら牧会に当たっているようです。・・・・