イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月23日(金):日本人の回心 (3) 森 明

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森明は、森有礼(初代文部大臣)と寛子(岩倉具視六女)の三男として、、明治21年に生まれたが、異母兄二人があり、父親はロンドン大学に学び廃刀、一夫一妻、信仰の自由を主張し、「伊勢神宮不敬事件」を契機に国粋主義者、西の文太郎によって刺殺された。その上三歳の時からひどい喘息になり学校に行けず、「病床は私の教室であった」と語るように常人の生い立ちではなかった。こうした生活の中で、現在の生に悩みと未来のじんせいに対する不安を感じ、「安心立命」は彼の人生の大きな問題となった。神田YMCAで人の罪とその赦しという説教を聞いた夜、「床の上でひざまずいて、天父の前に罪を悔い改め、一夜を祈り明かした」と、

自分の罪を明快に指摘され、キリストの贖罪による赦しのあることを知った。そのときの心境を、「主の十字架に自己の過去の罪を釘づけ、自己の考慮、欲望に死に果て」と述べ、自己がイエスと共に死んだときに「安心立命の秘密」を得て歓びをかくし得ず、家族に秘して、母寛子と共に、植村正久から16歳で洗礼を受けた。・・・・・・・・

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・・・・贖罪的自由人・・・・

自己の罪に対して徹底的な裁きを意識した森が、どのように赦しをたいけんしたか、「キリストのみがその全部を意識せられ、余すところなくその罪を負い、神の前に謝罪し、その正しき処分解決をなしうる唯一の人格である」と、キリストを「神の贖罪的顕現」と理解し、「彼の十字架を信じて、全くいかなる罪悪も余すところなく・・・神の前に処分せられたる事実を知り・・・我は全く罪より開放されたる経験をするものである」と、

キリストに在って、自己の罪の処分をすることができた。また復活信仰について贖罪体験の延長として、「救い主、罪によってしにたる者の中より最初に復活し給いし主よ!。今こそ私にも与え給うこの同じ歓喜、主よ、あまりにももったいなく、あまりにも聖く貴い経験でございます」と、

キリスト共に十字架に死んだ者が、彼と共に死にかった歓喜を味わっている。

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・・・・この世に対する態度・・・・

対文化的姿勢。「贖罪的自由人」と自覚した彼は、森、岩倉の血を継ぐ者として、この世に対しては無関心ではなかった。森の文化に態度は「革命よ来たれ!」というものだった。この世には革命が必要であることを認め、文化革命を要求しているが、人の救済は制度の改革物質の再配備ではなく、キリストによる「人格改造」が革命の第一歩であることを指摘している。すなわち、「物質的、社会的、貧民救済事業、これは為すべきことであるが、そのためにキリスト教は存在するのではなく、もっと根本的である」と。彼の召命の体験から帰結している。・・・・・・・

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対政治的姿勢。彼の政治的態度は、「キリストにおける進歩的正統主義」であると説明し、「教会の名において直接運動を起こし、あるいは他の運動に参加する意志を有せず。ただし、自己防衛の必要が生じた場合はこの限りにあらず」と言い。また戦争については、「我は事情に寄りては必ずしも非戦論を維持せず」と、教条的絶対平和主義者ではなく、より人間的努力を祈りの中に必要とする立場である。・・・・・・・・

恋愛至上主義について。彼は自分の教会員波多野秋子と有島武郎との情死に心を痛め、「現代我が国社会のうち、恋愛至上の人生観にたいしては、我は各人の人格救済を前提とし、かつ現在の社会制度を無視するにあらず、キリストにおいて完成せんことを期す。」と、常識と社会制度を重んじている点は内文化的改革を意図したことが分かる。・・・・・

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・・・・むすび・・・・

森明の信仰は「先生の贖罪論は人々の胸に信仰の火を燃やした。先生の生涯そのものが活ける贖罪論であった」と語られているように、贖罪信仰に彼の特色があった。それゆえに復活、高挙、再臨、審判等の論述はあまりにも少ない。以下は試論の域を出ないが、キリスト論のプロセスは罪意識の自覚、贖罪、復活、高挙、再臨、審判へと完成点へと向かう。この過程は年齢と人生経験が必要欠くことのできない要素となる。青年期には倫理や罪意識が比較的多く問題視され、復活以後のキリストの出来事は神学論として理解できても、経験できるのは壮年期以後のケースが多いように思われる。このプロセスからはんだんすれば、森の場合には、一切を知りて出ずる信仰ではなく、贖罪信仰から来る厳しい犠牲心を求める者であったと思う。

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