イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月28日(水):十字架上の七言 (1)

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『父よ、彼等をおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』(ルカの福音書23章34節)

これは十字架上から聞こえてきた最初の言葉と考えられています。

まず、「父よ」という呼びかけは、神に対する信頼の表れであります。イエスは一生涯を貫いて、神を父とする信仰に生きられました。

喜びにつけ、悲しみにつけ、父なる神に呼びかけ、打ち明け、訴えられました。そして今や十字架の上で息を引き取ろうとする間際にも、なお神を父とする信仰を持ち続けられたのです。十字架上の七言が「父よ」という呼びかけをもって始まっているのは、意味深いことです。

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次に「彼ら」とは誰のことでしょうか。それは直接にはイエスを十字架につけたローマの兵士たちを指していますが、間接的には彼に敵したすべての人を指しています。すなわち、罪なき義人を苦しめ、辱めた人たちです。イエスはそれらの人を恨んだり、憎んだりしないのみか、彼らの罪の赦しを祈られたのです。彼はかつて、「汝の敵を愛せよ」と教えられましたが、今や十字架の上でそれを実践されたのです。ただゆるすだけでも困難なことですのに、自分を十字架につけた人々をゆるされたのです。これ以上深い愛がまたとありましょうか。どんなに神に敵している人でも、このイエスの十字架の愛からもれることはないのです。・・・・・・

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「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」実際、彼らはイエスを十字架にかけることが、どんなに恐ろしい罪であるかを知りませんでした。「愚か者は戯れのように悪を行う」(箴言10章23節)

とあるように、不信仰者はしばしば面白半分に悪いことをします。

時には、悪いことをしながら、善いことをしたと思っています。

ボヘミァの殉教者フスは、火あぶりの刑に処せられた時、自分の前に焚き木を運んできた老婆を見て、「おお、神聖なる無知よ」と言いました。その老婆がよいことをするつもりでフスの火あぶりの薪をつんでいるのをあわれんだのでした。

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同様にイエスも「彼らは何をしているかのか、わからずにいるのです」と言われました。これは知らずして罪を犯す人々への深い同情を表しています。このように、十字架上の第一言は、イエスの信仰と愛と同情とを語るものであります。

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今日は午後から雨模様。台風も近づいているが、風もそれほど強くない。何事もなくお通り下さればいいのだが、それにしてもここ30年ばかり台風の被害がないのは幸いだ。いつも危ういところを、微妙に福島あたりから、太平洋に抜け難を逃れている。福島の皆さんには申し訳ない気持ちはあるが、こればっかりは引き受けかねる。

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