パーキンソン病は死病ではないというのが、よく言われることであるが、それは医学的に確かに直接的に死に至る原因がないということであるが、しかし、意外にこの病の人が命を落とす事が多いのではないかと考えている。これまで、数人以上の人を見て来てそう思うのである。全部を書き記すことはできないが、2例だけ、心に刻み込まれてきた人について、書いておこう。
そのうちの一人は、八郎潟教会という、教会の長老をしておられた。Kという人である、礼拝自体20人ぐらいの小さな群れではあったが、事情があって、その当時、母教会の牧師の承認を得て、月に2回ほどその礼拝に出席していた。皆、よそから来る私たち夫婦に良くしてくれた。むしろ、母教会の信徒さんより、交わりとして深かった。一年程した後、そのk長老がパーキンソンを発症した。驚くほど進行が早かった。あれよ、あれよ、という間に車椅子の生活になった。奥さんはよくできた人で、一生懸命介護した。しかし、病状が急速に悪化した。今でも覚えている。礼拝を終えて帰る時、自分でもこれが最後の礼拝と悟ったのか、教会の玄関で、見送る皆の前で大声で叫んだ「ハレルヤ!」と。それが、k長老を見た最後となった。・・・・・・・・
今、一人は、小、中学時代の同級生で、k子という子だった。色白で細面の、クラス一番の美少女であった。私にとっては初恋の人で、いずれ結婚したいと思っていたのだが、あっけなく、二十歳もだいぶ前に結婚してしまった。それから20年程して、同級会でk子と再会した。いろいろ、紆余曲折もあったが省略しておく。その同級会で驚いたのは、もう、昔のk子の面影は消え失せていた。多分、病気のせいだろう。細面の、あの美少女の顔が、まん丸になっていた。それから、間もなくパーキンソンを患っていると、聞いた。嫁ぎ先では世話する人がいなかったのか、「施設」に移されたと、これも風の便りで聞いた。それから、どれくらい月日が経ったろう。もう、今は何年前のことか思い出せない。「訃報」が入った。k子はもうこの世にはいなかった。それまで何度か見舞に行こうと思いつつ、グズ、グズしていた。手を握って、頭をなぜて、お祈りをしてあげたかった。・・・・・・・・・・
二人とも死因は、パーキンソン病によるものではない。一番考えられることは、喉に食べ物を詰まらせての窒息死、であることはほぼ間違いのないことである。先例がある。真知子の妹の、千香子の場合もそうだった。二度三度、誤嚥。(喉に食べ物を飲み込む時、食べ物が肺に入る)で入院した。幸い、すぐに介護の人が気付き、一命をとりとめたが、周りに誰もいなかったら、千香子も、窒息死していたはずである。・・・・・
誤嚥を防ぐ方法は、ゆっくり食事をすることが一番いいようだ。それに昔から言われているように「咀嚼30回」と言われているようによく噛んで、食べることだ。昔、シベリヤ抑留から生還した爺さんに話を聞いたことがある。「俺が、あの過酷な生活で生き残れたのは、どんな貧しい食事でもしっかり噛んで食べたからだ」と。「それをしなかった連中はバタ、バタと死んでいった」と。・・・・・・・