イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月7日(金):純情か真面目か!?。

【偉大な人物に共通な特徴は、「純情」でしかも「底抜けの純真さ」である。

(オルダス・バクスレー。英国の思想家)

神だけをひたすら見上げている人間の特徴は、単純で無邪気です。日本人は道徳的に真面目であることを非常に尊びます。道徳を守るには真面目も重要な条件ですが、神と共なる霊的生活を身につけるためには、むしろ妨げとなる場合が多いのです。自分が真面目でありたいために、絶えず自分というものが念頭にあって、すべての自分の言葉や行動も道徳家の堅苦しさと、人を裁く冷たさがあります。・・・

自分に愛がないのに、自分を実質以上に見せようとして愛の振る舞いをしたりします。主が最も嫌われるのは、このパリサイ人の道徳的偽装です。白く塗った墓です。彼らには朗らかで、単純率直な天真爛漫さがありません。彼らはいつも自分の正しさが中心で自意識が強いので、くつろいで自由な気持ちにはなれないし、他人も彼らにはくつろいだ気持ちにはなれません。・・・・・

霊的信仰者は神の中に自己を忘れ、単純で自然でいられるが、道徳家は「真面目」に自分を作ろうと務め、いつも自分の周囲を見回して自他の批評を気にします。これに反して、霊的な信仰者は無邪気で神だけを見上げいるのです。イワンの馬鹿に似た霊魂の愚直さがあります。・・・・

人間対人間に対しては道徳的誠実は大切です。しかし、重要なことは、神に対しての人間の誠実だなんて問題になりません。むしろ、神が求められるのは、砕かれた霊魂であり、幼子のような魂です。・・・・・

聖書は「神は真実であるが、うまれながらの人間はそうではない。罪人である。それで新生が必要である」。と主張するのです。人間の不真実さに絶望し、もう人間には何も残らない。何も無くなった人間には、せめて、罪に泣く純情くらいしか残らない、かくて、神の救いの機縁が熟するのです。・・・・・・

神の祝福を受けやすいのは、「真面目」型か、「純情」型か?・・・・主イエス・キリストがいずれのタイプに一夜をくつろごうとされるか、わかりますか。「心の清い人は幸いです。その人は神を見るからからです」と主は言われました。「純真な心をもって神に近づくことが、非常に大切です。