イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月18日(火):教会の任務

マルコの福音書は、本来16章8節で終わっている。われわれはただこの節が、福音書のほかの部分とどれほど違っているかを読むのである。これは福音書の最も優れた諸写本の中には見当たらない。これは後期の要約であり、マルコが書き終えるまで生きていなかった…

10月16日(日):エッセネ派

ユダヤ人の間には三つの哲学の派があり、第一の派に属するのはパリサイ、第二はサドカイであり、第三のものは。高潔な生活を実践することで有名なエッセネと呼ばれる群れである。彼らは生粋のユダヤ人であり、他の宗派に勝って互いに愛し合う。彼らは快楽を…

10月14日(金):教会音楽は何が違うのだろう

『それはまだ、クリスチャンとして信仰を持つ前のこと、二つの音楽会に行く機会があった。一つはクラシックの殿堂で開催された超一流の外来絵演奏家のリサイタル。大変華やかな演奏に、客席で思わず「ブラボー」と叫んだ。大満足で家に帰ったものの、翌朝起…

10月13日(木):鬼籍の人たち (4)

節子:50人のクラスの中に、節子が三人いた。二人は全く同姓同名、一人は小塚という苗字だった、この人については、(恋文)において書いている。 中学時代までは、大抵相手を呼ぶときは苗字ではなく名前で呼び合っていた。そんなことで同姓同名の二人の呼名…

10月12日(水):連れ小便  (天声人語)

神戸の生田警察が「立ち小便」の追放に張り切っている。不届きな所業におよんだものは直ちに検挙し、3000円の科料をびしびし徴収しているそうだ。証拠のためにビデオコーダーを使い、一日2,3人の割というから、これは手きびしい。「立ち小便は」はよほど品…

10月9日(日):道 真理 いのち (2)

イエスはまた、「わたしは真理」であると語られた。詩篇の記者は次のように語っている「あなたの道をわたしにし教えてください。私はあなたの真理に歩みます」(詩86:11)「私は真実の道を選びました」(詩26:3)道徳的真理について非常に大切なこ…

10月9日(日):道 真理 いのち 

わたしの行く道はあなたがたも知っています。トマスはイエスに言った。「主よどこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」イエスは彼に言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通…

10月8日(土):鬼籍の人たち (3)

重雄:つるんとした顔の男だった。戦後の食糧難の時代にやけに顔色がよかった。顔のつくりもよく、多分、クラスで一番の美男子であった。それもそのはずで、数十軒ある村の神官の息子だった。当時も今も神官のうちは代々続いている家柄が多い。わが家も母方…

10月6日(木):鬼籍の人たち  (2)

これから折にふれ、「鬼籍の人たち」という事で、幾人かの人たちのことを書いて残しておきたいと思う。随分前のこの題で書いているが、主に、同級生のことを書いていきたい。私たちの同級生は昭和19年春から20年3月生まれの者たちである。丁度、終戦間際に生…

10月5日(水):聖書翻訳について H・ジェーコブズ博士

聖書の翻訳はどの程度の権威を持っているかと言う問題について考えてみよう。 神からの霊感によって聖書が与えられたとき、神は人間の言葉をもちいられたが、それはただ聖なるみこころと、聖なる事実の説明とをつたえる媒介としてであった。そして霊感を受け…

10(火):皇帝礼拝

ローマは巨大な帝国で数多くの国家、民族、言語、伝統などの異分子を含んでいたため、これらを統制することは大きな問題であた。そのためには、その雑多な諸民族に共通した一つの強力な行為が必要であった。その目的で、皇帝自身の虚栄心の満足も含めて、こ…

10月3日(月):アシジのフランシス

フランシスコ 陽気な高笑いが石造りの牢獄中にこだました。「あれは、フランシスの奴だな。祭りにでも来た気分でいやがる」。同じ部屋の囚人たちがぶつぶつ言っていた。もう一人の囚人は、ため息をついて言うのだった。「だが奴が愉快にしていられるのは当然…

10月2日(日):イエスを愛することについて

1・・イエスを愛するとはどんなことか、イエスのために自身を軽んじるとはどんなことか、これを悟った人は(詩篇119:1~2)幸いである。あなたの愛するものを、愛するイエスのためにすてるべきである(申命6:5)。なぜならば、イエスはすべてに勝…

9月30日(金):冬支度

今日で9月も終わりになる。毎年10月には冬支度に入る。気候も寒からず、暑からずでこの時期が丁度いい。去年は前年の暖冬もあって、油断していたら、近年にない大雪。車庫のひさしが壊れるは、軽トラックのフロントグラスが割れるやら、屋根が崩落、トイレへ…

9月29日(木):IT文字と活字文字

IT文字に関する自分なりの理解:インターネットやスマホで使われる文字。 活字文字に関する自分なりの理解:主に紙に印字されたる文字。 ブログを書きはじめて二年半も過ぎた。この間、700余の記事を書いてきた。それがこの半年ばかりは、書かぬ日が多く…

9月28日(水):パウロの手紙

新約聖書の中でパウロの手紙以上に興味ある文書はない。それはすべての手紙という文書の様式が、ほとんど個人的なものであるためである。昔のギリシャの文学批評家デメトリウスが述べているように、「各人は自分の手紙の中で自己の魂を表現する。その文書の…

9月26日(月):イミタチオ・クリステイ 総集編 序文 

・・・・・はじめに・・・・・ イミタチオ・クリステイは、500年程前にドイツの一修道士の書いた書物である。日本語では「キリストにならいて」と訳されている。西欧では聖書に次ぐほど読まれているという。日本語訳は、旧くはキリシタンの時代に出されてい…

9月25日(日):逆説を秘めた祝福

『そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声をあげて言った。「あなたは女…

9月24日(土):女の失くした銀貨

『女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を履いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、「なくした銀貨を見つけましたから、いっしょにに喜んでください」と言うで…

9月23日(金):パラダイスの約束

『十字架にかけられていた犯罪人ひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。ところが、もう一人のほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではない…

9月21日(水):わたしの内なる霊のあかし

9月20日(火):受肉との比較において

聖書における歴史と啓示に関する正しい理解は、類似の問題である。受肉の光りに照らして研究する時にのみ、組織化されうるという事を述べておきたい。啓示されたことばとしてのキリストには、二つのもの、即ち、神人、また啓示と歴史があり、この二者の間に…

9月19日(月):岩谷政美長老。召される。

9月16日朝、長男の政彦君から電話があった。『昨夕5時。父が召されました』と。 60年前、私がまだ高校生だった頃、大館ルーテル同胞教会の門をくぐった。その時、信徒として礼拝に出席していた先輩である。以来、濃淡の差はあったが、よき先輩信徒であった。…

9月16日(金):羊飼いと天使

神の最初の告知が羊飼いたちに与えられたという事は素晴らしいことだ。羊飼いは、当時いわゆる善男善女からは軽蔑されていた人々である。羊飼いが祭儀律法の一点一画まで守る事は、全く不可能なことであった。彼らは手を洗う事や、その他こまごまとした規則…

9月15日(木):賢者 Wise man

王が城へ帰る途中、城門の前に座っている老人を見た。 『あれは、何者だ』。お付きの家臣が答えた。 『あれは、賢者と言われている者です』 王は馬からおりて、賢者の前に立って、声をかけた。 『わしは、この城の王である。賢者よ、望むものがあれば、申し…

9月14日(水):福音書の紋章

四つの福音書はそれぞれ独自の観点から書かれている。四福音書著者の像を描いたステンドグラスをよく見かけるが、普通おのおのの像に、ある印がつけられている。その印はいろいろあるが、一番よく見かける配分は次のようなものである。・・・・・・ マルコの…